忘れやすい日々のための映画ブログ

忘れっぽいので、過ごした日々・趣味の時間を大切にしていきます。

強さと弱さの証明/ソロモンの偽証

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宮部みゆきの原作小説を映画化。

私は映画を先に見るタイプで、原作は読んでいません。

※『冷静と情熱のあいだ』の小説を先に読んでから、映画を観た結果、

 トラウマになるくらい超絶がっかりしたせい。

 

本作は前編・後編に分かれている。

内容を忘れてしまわないように、前編後編一気に鑑賞。

 

前編あらすじ

クリスマスの朝、雪に覆われた中学校の校庭で柏木卓也という14歳の生徒が転落死してしまう。彼の死によって校内にただならぬ緊張感が漂う中、転落死の現場を目にしたという者からの告発状が放たれたことによってマスコミの報道もヒートアップ。さらに、何者かの手による殺人計画の存在がささやかれ、実際に犠牲者が続出してしまう。事件を食い止めようともせず、生徒たちをも守ろうとしない教師たちを見限り、一人の女子生徒が立ち上がる。彼女は学校内裁判を開廷し、真実を暴き出そうとするが……。(シネマトゥディ)

 

後編あらすじ

被告人大出俊次(清水尋也)の出廷拒否により校内裁判の開廷が危ぶまれる中、神原和彦(板垣瑞生)は大出の出廷に全力を尽くす。同様に藤野涼子(藤野涼子)も浅井松子(富田望生)の死後、沈黙を続ける三宅樹理(石井杏奈)に証人として校内裁判に出廷するよう呼び掛ける。涼子は柏木卓也(望月歩)が亡くなった晩、卓也の自宅に公衆電話から4回の電話があったと知り……。(シネマトゥディ)

 

個人的には圧倒的に前編が好き

ここ数年観た邦画の中では、相当良かった。手に汗握ったし、前のめりになれた。

それは大規模オーディションで選ばれたという、子役たちの演技が本当に素晴らしかったおかげ。誰が特筆して上手いというわけではなく、全員が同じレベルで良かった。

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以下ネタバレ

 

▼なぜ藤野涼子と神原和彦は裁判の主体者となったか

この事件はすべては柏木卓也という歪んだ性格の人間が巻き起こしたもの。

事件の原因である柏木卓也についてはほとんど描かれないため、藤野涼子と神原和彦の各々の短い回想シーンからしかわからない。

ただそこに描かれているのはひどく歪んだ性格。

というかとんでもないわがままかまってちゃん

大人なら面倒くさいと相手にしないタイプ。。

↓柏木卓也(劇中この無表情に怖くてビビってました)。

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藤野涼子はある日の下校時、いじめっ子の大出が2人の女子クラスメイトに暴力を振るっている場面に出くわす。

女子生徒(三宅樹理と浅井松子)は顔を地面に足で押し付けられ、蹴られ、ニキビ面が汚いだのなんだの罵られ見ていられないほどひどい有様(ここまでひどいシーンはあまりみたことがなかったので、驚きながら観てました)。

藤野涼子は怖かったのか、自分がいじめのターゲットになるのが嫌で関わりたくなかったのか、助けることができずに、その場を足早に去ろうとする。

しかし振り向くと、そこには醒めた目の柏木卓也が。

 

柏木は言う。

どうして助けないの? 藤野さんホームルームで言ってたよね? いじめはよくないって。どうして助けないの?」と。

そして「そういうのを『口先だけの偽善者』っていうんだ。そういうのが一番タチが悪いんだと』と。自分の質問に相手が答えられないことを知った上で、「なんで、なんで」と詰問して断罪。幼い柏木が悪魔にみえる瞬間。

 

柏木は自分のことは棚に上げて、正論を振りかざしただけだが、藤野涼子はひどく傷つき、泣いてしまう。

『口先だけの偽善者』。その言葉は彼女に重くのしかかり、そうではないことを証明するように、裁判の主体者へとなっていく。

 

神原も同じようなことを言われていたようで、裁判のラストのほうで柏木の死の真相を語るシーンで明らかになる。

神原は柏木と小学校が一緒だったが、そんなに話をする中ではなかったようだ。

しかしなぜか死の前に柏木に呼び出され、自殺願望があることを告白される。思いとどまるよう提案する神原。

対して柏木は、神原へ自分の母親を殺害した酒乱の父親との思い出の場所を回ってみろと言う。というか「やんないと俺死ぬよ?」という脅迫命令だ。

思い出の場所とは神原が生まれた病院だったり、昔両親と住んでいた団地だったりする。当然そんなことしたくないが、自分のせいで自殺されるよりマシだと実行する。

そしてクリスマスイブに学校の屋上に来いと言われる。柏木は「どうだった?」と訊ねると、神原は「良い思い出もあったということがわかった」と前向き発言をする。

これが良くなかった。 

柏木は「良い思い出だって? よくそんなことを言えるな。人殺しの息子のくせに」というような暴言を吐きまくる。

雪の日に思い出したくもない過去の場所を巡らされたあげくに、夜中に学校の屋上に呼び出され、自分の過去について暴言を吐きまくる。神原は流石に嫌気がさして帰ろうとする。すると柏木はフェンスの向こう側にいって「帰ったら死ぬからな」と。しかし神原はそこを去る。

結果的に翌日柏木の死体が見つかり、神原は自責の念に苛まれるわけだ。自身の父親も人を殺して、監房で自殺をしている。

自殺も考えたが、父親のように逃げるのは嫌だ、裁かれるべきだということでこちらも裁判の主体者となっていく。

 

▼柏木卓也と大出俊次(精神的支配と肉体的支配)

柏木は変えられない他人の過去や性格を容赦なく、淡々と深く、深く抉る。

なぜかはわからないが、自分の言葉で支配できる相手を見つける能力に長けていたようだ。神原も藤野も優等生タイプなので、前述のような普段から綺麗ごとを言っていたのかもしれない。

神原に至っては父親が母親を殺したという暗い過去があるくせに前向きに生きている。

柏木はそういった点を責めて、相手の心を捻り潰そうとしていた。

 

相対的に描かれるのは大出俊次。

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大出は三宅樹理と浅井松子を暴力で虐める。

暴力を振るわれている相手のことを何も考えていない。

その行動を見ていて、大出は性格が悪いんじゃなく、無知なだけだと思った。

大出は暴力を振るいニキビ面を馬鹿にするが、柏木のように他人(三宅)の性格の悪さには言及しない。

(三宅樹理は柏木の死を利用して、大出が殺したと告発文書を作成して、学校と父親が警官の藤野へ投函。最後まで公の場で松子の死の責任は自分にはないと嘘をつき続けられるほどタフな腐れ根性の持ち主)。

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(↑最後まで嘘をつく三宅樹理。)

大出は裁判で神原に過去の出来事を暴露され、自分がしたことをやっと理解する。

そして聴衆の前で自分のとった行動の責任を取らされる。

 

▼裁判=柏木の弱さの証明

こうして書いてしまうと大出はただの無知な人間。しかし柏木は悪魔のようなサイコパスにみえる。ただ個人的にはそれは違うと思う。

あるとき、柏木は野田健一(まえだまえだ)に飼育している兎を抱きながら、

「生まれ変わったら兎になりたい」と言う。野田が「うさぎなんて嫌だ。なんで兎なんかがいいの」と訊ねると、「純粋で無垢だから」と返答する。

自分にも周りにもいつも無垢であることは難しい。学校生活を送る中では、小さな嘘もあるだろうし、思いがけず人を傷つけてしまうこともある。つまり純粋無垢であることは維持できなくなる。恐らく、柏木はそれを誰よりも理解していた。だから学校へ行くのを辞めたのかなと。

 

何より無垢であるということは他人から責められないということだ。

柏木はこの物語の中で、最も弱かった

神原も藤野も前を向いて生きているけれど、本当は自分と同じように弱い人間であることを証明したかったのだろう。

でも2人とも自分に向き合って生きる強い人間であることが証明された。

2人だけではなく、この物語に柏木以外の人間は前を向いて生きている、という点で、

圧倒的に柏木より強い。柏木は自分が傷つけた2人によって、自分の弱さを暴かれてしまった。裁判は柏木以外の人間が自分自身や家族と向き合うきっかけになっていた。

 

ただこの事件の真相はわからない。

柏木卓也は本当に死ぬつもりだったかもしれないし、足を滑らせただけかもしれない、

あるいは神原に突き落とされたのかもしれない。でももう誰にもわからない。

裁判は終わったらから。