怒り/信じる=向き合うことの難しさ(ネタバレあり)
「悪人」の内容がドハマリしたこともあり、非常に期待していた作品。
以下あらすじ。
吉田修一の原作を映画化した「悪人」で国内外で高い評価を得た李相日監督が、再び吉田原作の小説を映画化した群像ミステリードラマ。名実ともに日本を代表する名優・渡辺謙を主演に、森山未來、松山ケンイチ、広瀬すず、綾野剛、宮崎あおい、妻夫木聡と日本映画界トップクラスの俳優たちが共演。犯人未逮捕の殺人事件から1年後、千葉、東京、沖縄という3つの場所に、それぞれ前歴不詳の男が現れたことから巻き起こるドラマを描いた。東京・八王子で起こった残忍な殺人事件。犯人は現場に「怒」という血文字を残し、顔を整形してどこかへ逃亡した。それから1年後、千葉の漁港で暮らす洋平と娘の愛子の前に田代という青年が現れ、東京で大手企業に勤める優馬は街で直人という青年と知り合い、親の事情で沖縄に転校してきた女子高生・泉は、無人島で田中という男と遭遇するが……。(映画.com)
結論、良い。泣いた(たぶんラスト20分)。
デート用かと言えばそうでないとも言えるし、そうだとも言える。
楽しさを求めるのであればオススメできないが、内容について議論が出来る相手であれば非常にオススメ出来る作品。
キャストの演技力の凄まじさは言うまでもなく一級品です。
以下ネタバレ感想です。
この作品の言いたかったことは、(愛する人でさえも)信頼する=向き合うって難しい、ということかなと。
信じても救われないことがほとんど。けれど、信じることでしか救われない、ということ。
そして信じられなかったとき、裏切られたときの感情は怒りとして自分の中に生まれるということなのかと。
この作品は家族、恋人、友人という自分の身の回りの信頼を揺さぶってくる。
本編は以下3つのストーリーの入れ替わり展開で進行する。
千葉編=家族、恋人:渡辺謙、宮崎あおい、松山ケンイチ、池脇千鶴
▼発端
八王子で夫婦が何者かに惨殺される。そして現場には「怒」の血文字が発見される。
犯人は見つかっておらず、モンタージュが公開される。その写真は松山ケンイチ、綾野剛、森山未來に見える。
物語の進行中に追加情報として、整形手術を施しているという情報が明かされる。
つまり誰が犯人でもおかしくない状態で観客は物語を観ることになる。
▼千葉編
元風俗店で働いていた宮崎あおい。その父親で漁師?の渡辺謙。渡辺謙を手伝う素性不明の松山ケンイチ。
同世代だからか、松山ケンイチと仲良くなる宮崎あおい。「一緒に住む」と娘は幸せそうに言う。
しかし渡辺謙は心のどこかで娘が幸せになれると信じていない。それを「自分の娘が幸せになれると思っていないでしょ」と池脇千鶴に指摘される。
同棲を始めた松山ケンイチは宮崎あおいを信じ、自分の過去を全て伝える。
それから少しして、八王子事件がテレビで流れる。
松山ケンイチは宮崎あおいに八王子の事件のことも知っているが、自分ではないと伝える。
でも結局、宮崎あおいは警察に通報する。信じきれなかった? 信じていたから通報した? わからない。
とにかく松山ケンイチは信じて、裏切られた。警察から松山ケンイチは犯人ではないと回答を受けた時、渡辺謙は崩れ落ち、宮崎あおいは壊れそうなほどに号泣(=信じられなかった自分への怒り?)する。
※出典:映画.com(怒り : 作品情報 - 映画.com)
数日後。松山ケンイチから1本の電話が来る。
「連絡するつもりはなかったんですけど」。
一度裏切られたのに、彼はまた信じることにしたのだ。
通報した直後、宮崎あおいは泣きながら「40万円。貯金全部を彼の鞄の中に入れたの」と渡辺謙に言う。それは彼への愛だったのだろうか。彼への愛=信頼が伝わったのだろうか。
新幹線で千葉に戻る道中、信じた者(松山ケンイチ)と、信じてもらえた者(宮崎あおい)、その2人の表情には安堵の色が窺えた。安堵とは信頼から生まれるものなのかなと感じた。
※出典:映画.com(怒り : 作品情報 - 映画.com)
▼東京編
妻夫木聡はゲイの集まる店で素性不明の綾野剛と出会う。出会いは強引なセックスから始まる。それから行くあてがないという綾野剛はなんとなく妻夫木家に一緒にいるようになる。
妻夫木は自信に満ちあふれており、ゲイであることを気にしないと言う。綾野剛はどちらかというとおとなしく自信なさげだ。
あるとき妻夫木が「俺お前のこと信じてないからね」というと、「信じてくれてありがとう」と綾野剛が答える。
その言葉に妻夫木は嬉しそうに笑う。
嬉しさからか、妻夫木は母親(恐らく唯一の肉親でホスピスで死を待っている)のところに綾野剛を連れていく。
自分の大切な家族に会わせる、という行為は信頼の現れだろう。
それからというもの、綾野剛は自分の母でもないのに妻夫木の母親の話し相手になってあげる。
信じてもらえたお返しだったのかもしれない。
結局、母親は最期を迎える。最期の場所には先に綾野剛がいた。
墓参りを終え、2人は一緒にお墓に入ろうか、という話をする。
「(ゲイの自分には)家族はもう出来ないだろうけど」と。それほどまでに妻夫木は綾野剛を信じていた。
※出典:映画.com(怒り : 作品情報 - 映画.com)
ほどなくして友人から妻夫木に「友人が泥棒に入られた。しかも2人。場所を知っての犯行だと思う」と電話が来る。
その電話を受けながら、綾野剛がカフェで妻夫木の知らない女性と話しているのを見かける。
その夜にそれとなく昼間いた場所のカマかけるが、綾野剛は嘘を言う。
堪えかねて「俺、女性といるの見たんだよね」と言うと、「なんでそんなカマかけるようなことするんだ」と言われてしまう。
確かそれからだったか、綾野剛がいなくなってしまう。
同時期に八王子事件がテレビで流れ、妻夫木は不安にかられ始める。
それでも帰ってこない綾野剛に電話をかけ続ける。何度掛けてもでない。ついに、ある日着信がくる。警察からだった※。
内容を聞かずに綾野剛が犯人だと思った妻夫木は電話しながら部屋を掃除し出し(指紋を拭き取る)、綾野剛のことは知らないと答える。
そう、彼は信じられなかった。自分の母親の最期に一緒に立ち会ってくれた恋人のことを信じられなかった。
お墓に一緒に入ろうとまで思えた相手のことを信じられなかった。
綾野剛がいなくなってほどなくして、妻夫木はカフェで綾野剛と一緒にいた女性を見かけ話しかける。
「彼を知りませんか? どこにいるか知りませんか?」といった内容のことを言葉にならないほどに焦って妻夫木は訊ねる。
「落ち着いてください。あなたのことは聞いていたわ。ゲイであることを隠そうとしないすごい人だって嬉しそうに話していた」
「彼とは孤児施設で育った兄妹のようなものだった。生まれつき心臓が悪くて、
薬で騙し騙しやってたけど。あなたに迷惑かけたくなかったんだと思う。最期はあなたの家の隣の公園で亡くなっていたの。彼らしいわ」と答える。
妻夫木は信じてくれた相手を信じきれなかった自分に対し、「なんで俺なんかを」と言いながら、何度も頭を振り号泣する。
そして心ここに在らずの状態で泣きながらカフェを後にする。彼には自分を信じてくれた人をもう一度信じるチャンスは残っていないのだ。その点で千葉編とは異なる結末。彼は悔やむだろう。でもこの先の人生は必ず人を信じるに違いない。命を懸けて信じることを教えてくれる人がいたのだから。
※警察は何度も着信のあった妻夫木に電話をかけていたのだろう。
▼沖縄編
広瀬すずは母親の都合(不倫?とかで男が変わるためいられなくなった)で本州から沖縄へ転校してくる。
同級生?の佐久本が運転する船で離島には移動してくる(遊びに来ていたのかな)。
その離島に森山未來がいる。廃墟となった家でバックパッカーとして生活していると彼は答える。
※出典:映画.com(怒り : 作品情報 - 映画.com)
あるとき、広瀬すずと佐久本は那覇へ遊びにいく。偶然森山未來と出会い、居酒屋で会話を楽しむ。
酔いつぶれた佐久本は広瀬すずが目を離した瞬間にいなくなってしまう。焦って後を追うが、米兵がたむろする場所に出てしまい、逃れるように公園へ行くが、後を追われており、レイプされてしまう。
佐久本はその場所にいたが動けないでいた。助けられなかった。
「ポリース、ポリース!」と誰かが叫び、広瀬すずは解放されるが、時既に遅し。
警察を呼ぼうとする佐久本に彼女は「誰にも言わないで」と懇願する。
佐久本は後日離島に行き、森山未來にそれとなく話をする。そして森山未來が佐久本の実家である旅館?で住み込みで働き始める。
自責の念に駆られていた佐久本は話を置き換え、森山未來に話をする。「俺は味方だからな」と森山未來は答える。
数日後、お客のバッグを放り投げている森山未來を佐久本が見つける。
「納得いかないことがあって」と森山未來は言う。「俺も広瀬すずがレイプされているところを見ていた」と言う。
「怖くて動けなかった。ポリースと叫ぶしかできなかった」と。俺もお前と一緒だと。佐久本は彼を信頼する。
その後、なぜか森山未來は夜中に暴れ、旅館をめちゃくちゃにして、離島へ逃げる。場所を知っていた佐久本は後を追う。
ハサミで顔を切ろうとしている森山未來。部屋には「怒」の文字。
佐久本に対し森山未來はレイプの現場を見ていたが、自分は楽しんでいたと答える。そう、彼は助けようとなんかしていなかった。
佐久本は裏切られた気持ちになり、怒りから森山未來をハサミで刺し殺す。
広瀬すずは後日そのことを知る。信じた人に裏切られ、助けようとした人は警察に捕まってしまう。怒りは怒りしか生まないのかもしれない。彼女はやりきれない怒りを海に向かって叫ぶ。
▼感じたこと
「よく簡単に人を信じられるな」と佐久本に対して森山未來が言っていた。
この発言から、彼は人を信用できないことがわかる。信じると裏切られる、という世界に生きて来たのかもしれない。
社会との接点がなく(実際独り言を家中に書きなぐっていた)、信じるということを知らなかったのかもしれない。
しかし松山ケンイチも、綾野剛も辛い人生を歩んで来た。彼らは逃げることなく、自分に向き合い、相手に向き合った。森山未來は自分にも相手にも向き合えなかった。
「弱かった」で片付けていいものなのかわからない。でも信じた松山ケンイチと綾野剛は強かったと思わずにいられない。
裏切られても、疑われても、相手を信じた行動をとった。そしてそれは裏切ったものに、残されたものたちを救うだろう。時間はかかるかもしれないが、確実に。