誰かに認められる≒支配される人生/『フォックス・キャッチャー』
『カポーティ』のベネット・ミラー監督作品という点に惹かれ鑑賞。
この監督は『マネーボール』も監督しており、この『フォックス・キャッチャー』も事実に基づいています。
正直、あらすじも何も全く知らない状態で観たとしたら、大満足しただろう映画。
おそらく本国では有名な話のため、そもそも国民が知っている前提なのでしょうが、
私は知らなかったので、予告編でわざわざ教えてくれなくてもいいのに。。。と思いました。
じゃあどうやって宣伝するんだと言われると「アカデミー賞5部門ノミネート作品」という1点のみに。。。
仕事ができない。困りますね。マーケティングって難しいです。。
これから観る方は予告編はおろかポスターさえも観るべきではないと思います。
以下のあらすじはネタバレを含んでいないので、掲載します。
あらすじ
大学のレスリングコーチを務めていたオリンピックメダリストのマーク(チャニング・テイタム)は、
給料が払えないと告げられて学校を解雇される。失意に暮れる中、
デュポン財閥の御曹司である大富豪ジョン・デュポン(スティーヴ・カレル)から、
ソウルオリンピックに向けたレスリングチーム結成プロジェクトに勧誘される。
同じくメダリストである兄デイヴ(マーク・ラファロ)と共にソウルオリンピックを目指して張り切るが、
次第にデュポンの秘めた狂気を目にするようになる。(シネマトゥデイ)
演技派の実力半端ない度&休日の昼間に見るべきじゃない度 10/10
カップルで行くのはNGな作品ですね。
女性目線でも男性目線でもで(なんでこの人この映画一緒に観たいと思ったんだろう)となります。
「固い絆で結ばれているの!」という方はその固さをぜひ試してください。
見どころは、2点
・この映画が事実が基になっている点
→なぜ事件が起きたのか?を掘り下げていくのが楽しい
・ジョン・デュポンを演じるスティーブ・カレルの怪演
→不気味、の一言。『40歳の童貞男』を演じていた人には見えない
ジョン・デュポンを演じるスティーブ・カレルの演技が半端なく不気味。。
劇中の会話が圧倒的に少ないので、表情や空気で伝えるシーンが多いが、これが怖い。怖くて不気味な負の空気がスクリーン越しに館内を包み込みます。そのくらいの凄さです。
以下ネタバレ。
「どんな映画なの?」と聞かれたら、
「アメリカ3大財閥の御曹司がオリンピック金メダリストを殺害しちゃう話。
犯人のジョン・デュポンは友達もいなくて、母親の支配から逃れられなかった子供みたいな人なんだ。
人との距離の測り方すらわからなくて、ちょっと可哀想な気持ちになるよ。
劇中の台詞はすくなくてスティーブ・カレルの怪演が際立つ作品さ。とにかくすごいから見たほうがいい」てなところでしょうか。
この映画は大人に成長できないお坊っちゃま君(=ジョン・デュポン)が、
自分の言うこと聞かないヤツにイラツイて殺人を犯す話ですが、
・殺した相手が元オリンピック金メダリストという点と、
・お坊ちゃんの度合いが世界レベルという点が、この話を興味深いものにしています。
※デュポン財閥はメロン財閥、ロックフェラー財閥と並び三大財閥と呼ばれるレベルだそうです。
この事件の原因は3つあると思いました。
ひとつ目はジョン・デュポンが圧倒的に世間知らずの金持ち坊ちゃんだという点です。世の中には様々なタイプのお坊ちゃんがいますが、勝手に大きく以下2つに分けました。
・知性を持ち、振る舞いを熟知し、立場をわきまえたよく教育されたお坊ちゃん
・甘やかされ、周りが何でもお膳立てしてくれる世間知らずなお坊ちゃん
ジョン・デュポンは間違いなく後者にあたります。
後者の場合、自分がすごいのではなく、ご先祖様と周りの人がすごいだけですが、勘違いしがちです。勘違い発言や行動が増えて、痛い人になります。
ふたつ目の原因はジョン・デュポンが後者に該当していながらも、先祖と周りの人がすごいという事実に気がついていたこと。
これは圧倒的に悲しいことですが、気がついている点で素晴らしく、自分と向き合い、自分の力で克服することもできます。
ジョン・デュポンがとった行動は、フォックスキャッチャーという名のレスリングチームを作り、
兄弟金メダリスト(ひとりはコーチになっていて、ひとりは現役選手)を招聘し、ソウル五輪で自分がセコンドに入るというものでした。以下兄弟写真。
自分で何かをしようとしているのはわかりますが、たくさんあるお金を使って優秀な人を連れてきただけ。
本人にはレスリングの知識もそんなになく、どちらかと言えば口を出して邪魔をしてしまいます。
選手からすれば「お金だけ出してくれればいいのに」といったところでしょうか。。。
あるとき、このジョン・デュポンがマーク・シュルツに
「僕には友人がいない。いたと思っていたら母親がお金を渡しているのを見た。雇われた友人だったんだ」
と打ち明けるシーンがあります。めちゃめちゃ悲しい気持ちになります。
友人がいないということは、人との適切な距離が測れないということなのだと思います。
劇中でそれを表現する2つのシーンがありました。
・夜中にマーク・シュルツのところへ行き「一緒にトレーニングしよう!」とやってくるシーン。
・日曜日の家族サービス中のデイブ・シュルツのところへやってくるシーン。
マーク・シュルツは対応しますが、デイブ・シュルツは「日曜日なんだ。ごめん」と断ります。
ジョン・デュポンは距離の取り方=入ってはいけない領域がわからないから、デイブ・シュルツに否定されたと思ったことでしょう。
これが殺害の伏線になっています。
みっつ目は母親の存在。
残念なことにジョン・デュポンは母親の目を気にして=支配されて生きています。
いい歳したおっさんが完全に子供のまま、というのがよくわかります。
支配されているのがわかる3シーンがでてきます。
・「レスリングチームを作ったんだ」と言えば「レスリングは下品」と否定され、
・母親がレスリングの練習を見に来たら突然デイブ・シュルツに代わり指導をし出す。周りの選手はポカーン
・自分が後援するレスリング大会へ出て「優勝したんだ」と母親に報告して、受け流されるシーン
母親の支配から逃れるためにレスリングチームを始めたのに結局は母親に認められたいと思っている。
そりゃ大人になるまで支配されたんだからレスリングチーム作ったからと逃れられるわけないわな。。。
ジョン・デュポンはソウル五輪までのドキュメンタリーTVでのデイブ・シュルツの言動を見て犯行に及びます。
デイブ・シュルツはインタビュアーに「ジョン・デュポンの良い所を話して」と言われ、「環境を整えてくれて~」と精一杯に話をするが、ジョン・デュポンはバカにされたと受け取ってしまう。
ジョン・デュポンから学ぶべきは、「いい歳して誰かに認められるための人生を送るのはやめろ」ということ。
支配されるなら、最期まで支配され続けるべき。
4月4日アートフォーラムで鑑賞。